このブログを起ち上げた経緯は、前ページに記(しる)しました。お恥ずかしい限りで…でも、その“お恥ずかしい限り”は、誰にでも訪れる可能性があるものです。ことに、小金持ち?の方には可能性が大です。
さて、「可能性が大」と申せば、健康本。で、御座います。
情報化社会だけに、誰もが己の信ずる情報を出版でき、自分が信ずる(興味ある)情報に接することができます。
何が正しくて、何が正しくないかの判断は試してみないと分かりません。でも事が命や健康といったコトになりますと、なかなか判断が難しいかと思います。
そんな時は、まずは1週間。試す前に血液検査をして、1週間後の“お試し期間”終了時に血液検査をして改善しているか、改悪しているかを確認してください。目で見える一番手っ取り早い方法が、血液検査です。身体は嘘を吐きませんから。
情報の正誤につきましては、まずはオリジナルの原著を探して精読されることを、お勧めいたします。たいていの健康本は、いいとこどり、です。
私、基本、一般的な健康本やURLは信用しておりません。ねじくれた性格な変態であり、基地外(御親族様からの御指摘です)ですから。
娯楽小説級(なみ)に後出し事由や、「(根拠もなく、イメージだけで)これはいけない」「アレもいけない」「もっといけない」「きっといけない」等と扇動する情報も信用しておりません。
さも自分が発見したんだゾ!みたいな文章も気に喰いません。多種類の原著を読み込んで行くと、「アレ?何処かで読んだ記憶が…解釈の違いか?」とか「病院派閥(ジッツ)における術式呼称の違いで、同じ術式じゃん」みたいな記述が出て来て笑わせてくれますが、時間の無駄となることが多いです。
科学的根拠(エヴィデンス)を謳う現代医学でさえ、時の流れと共に「アレは違った」や「実は、こうだった」「アレよりコッチ」「真相発見」と、かまびすしい時代です。
本来ならば生理学や栄養学、スポーツ医学など身体に関する全ての内容(学識)を包括した学問が医学である、と信じております。しかし、現代医学では生理学≒医学、栄養学≒医学、スポーツ医学≒医学な場面が多々御座います(きっと、体験されたことがあるかと…)。
現代の臨床医(診察する医師)に求められているのは、命の救いと伴に、宗教(精神)的な救いです。薬や処置(手術など)には「奏効率」と云う言葉があり、担当医の方々は、1人でも多くの方を奏効率の範疇(はんちゅう=範囲)に収めようと頑張っておられます。
たとえ不治の病でも、「大丈夫です。私に任せない」とやさしく微笑んでくれる強さ(=優しさ)が求められています。
そして、「『大丈夫、私に任せろ」と云ったよなッ
」と、ダメだった時の保険として?犯人となり、遺族を癒してくれる道化者の側面も求められております。

そんな状態で、先輩医師(オーベン)に尻を蹴られ、民間病院へヤキンノアルバイトに駆り出されながら?孤軍奮闘されておられるわけです。
そんな状態だから、医療過誤(ミス)してもエエネンで。でも、ホンマはアカンネンで。な状況から身を守るために私の戯言(ざれごと)が皆様の一助となれば望外の喜びです。
生命と云うモノは「オギャー」と生まれた以上「ウギャー」と云う・言わないは別にして、必ず滅するモノです。生を止めることはできても、死を止めることはできません。
ならば、どのように“その時”を迎えるか―どういう最後を望むか。それが本ブログの趣旨である、と御理解ください(音楽も死ぬまでの暇つぶしみたいなもんですから)![]()

あなたと貴方の大切な人の毎日が、1秒でも長く、健やかで穏やかなものでありますように。