これは、あなたに勧めているわけでは御座いません。世の中には、「こういう考え方があり、それを実践している方が居る」と、云うことです。また、現在ではいろいろな研究により、それぞれの栄養素の効用や弊害(へいがい=副作用)についての情報が公開されております。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
下記に関連書籍(青文字クリックで全文が通読できます)を、無断転載させていただきましたので、よろしければ御参考までに、お読みください。
(故マックス・ゲルソン 著)
ゲ ル ソ ン 療 法 治 癒 し た 5 0 人
(故マックス・ゲルソン 著)
(マックス・ゲルソン博士の3女が記した本)
(ゲルソン博士による、ゲルソン療法により完治した患者へのインタ ヴュー)
(5生存率0%の大腸ガンから肝臓へと転移した医師、星野仁彦:著)
(日本人だけなぜ、がんで命を落とす人が増え続けるのか―消化器外科の 権威がすすめる驚異の栄養・代謝療法)
(済陽高穂 著)
(済陽高穂 著)
(済陽高穂 著)
(日本におけるゲルソン療法実践医師による対談・比較集)
(2冊とも星野先生が実践された中野良一医師の著作)
P.53 ストレスと飽食
1日に何十人もの患者を診(み)ていると、その中には専門外の患者もいる。いつも、グッタリと疲れるようになっていた。ストレス解消法は食事だった。ステーキにソーセージ、厚切りのハム、チーズなどのコッテリとした脂っ濃い(あぶらっこ)い物を好んで食べ、ワインを大量に流し込んだ。1日、ボトル1,2本は飲んでいただろう。
休日に同僚(どうりょう)を招いていたホーム・パーティーも、私(星野仁彦)のストレス解消法、だった。妻が腕を揮(ふる)って作ってくれた料理を、昼過ぎから集まって来た同僚と語らいなが味わって行く。話は「これからの医療に関すること」が多かったと思う。「私(星野)が教授になれるか、どうか」にまで話が及ぶこともあった。「ストレス解消」と云いながら、ワーカホリック(仕事中毒)の状態をまったく抜け出していない時間を過ごしていたのかもしれない。
私(星野)が教授になりたい、と思っていたのは事実である。数々のキャリアを積み重ねて日本トップクラスの精神科医に上り詰めたが、その先には、まだ教授という目標が残っていた。
しかし、その道はガン発覚と同時に断(た=きれた)たれた。(1990年)当時は落胆(らくたん=ガッカリ)したが、果たして教授としての仕事が自分(星野)にできただろうか―専門分野の研究は楽しむことが出来ただろうが、医局を管理するしごとには苦しんでいただろうと思う。
「そんな仕事は、やらなくてよかったと思います」
妻は、迷うことなく言う。
(確かに、そうかもしれない)
もしも、私(星野)が、あのままガムシャラに突き進んでいたならば、(2005年の)今、ここに居なかったかもしれない。過労死する人は、普段はあまり疲れを感じない、疲労を感じ取るセンサーが故障しているからだ。無理が効(き)くから、無理を重ねる。そして、ある日、突然に亡(な)くなる。遣り甲斐(やりがい)や達成感を得る一方で、過剰なストレスと疲労を溜め込(ためこ)んでしまっているのである。これは心療内科では、『失体感症(しったいかんしょう)』と云われているが、私(星野)もそうであったのかもしれない。
(2005年における)今の私(星野)が(1990年)当時の私(星野)を診断すると、『心身症』となる。過食症や肥満は、心理的要因から起きた病的な身体症状の1つだ。身長170センチで、体重が78キログラムもあったのだ。精神科医として数々のキャリアを積みながら、私(星野)は、この精神状態にまったく気づかなかった。それどころか食欲旺盛(しょくよくおうせい)で、どんなに困難で壮大(そうだい)な仕事もこなせる強い人間だと思っていた。
そして私(星野)は、突然死ではなく、ガンを患(わずら)った。