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*中国の薬学辞典に尿療法が載っている

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  このブログは、貴方にお勧めしているわけでは御座いません。世の中には、こういう療法もある、と云うことで無断転載させていただいております。
 もしも実践される場合は、自己責任・自己管理のもとで、お願い申し上げます
 また、左の書庫欄より
 
飲 尿 療 法」(無断転載者の体験記録)
ガ ン と 闘 う 医 師 の ゲ ル ソ ン 療 法」(星野仁彦医師による体験記)
尿療法」(中野良一医師による著作)
 
を併読いただければ、より立体的に御理解いただけると存じます(青文字クリックで全文が通読できます)。
 
Amazon.co.jp: 奇跡が起こる尿療法―勇気さえあれば、治らなかった病気が治る ( ビタミン文庫): 中尾 良一: 本.
尿療法(にょうりょうほう) は、尿を用いて病気を治したり健康を増進したりしようとする 民間療法のひとつ。とりわけ、飲尿療法ないし自尿療法といった、「自分の尿を飲む」もの を言うことが多い。 目次. 1 概要; 2 その他; 3 脚注; 4 関連項目; 5 外部リンク. 概要[ 編集] ...
ja.wikipedia.org/wiki/尿療法 - キャッシュ - 37k - 4 時間前 - このサイト内で検索
 
 
P.202 *中国の薬学辞典に尿療法が載っている
 
 尿療法の知識を一遍上人(いっぺんしょうにん)に授(さず)けたのは、いったいなんだったのでしょう。
 
一遍
一遍(いっぺん)は鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号で、法諱は「智真」 。「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称される。 近代における私諡号は「円照大師」、1940年に国家より「証誠大師」...
ja.wikipedia.org/wiki/一遍 - キャッシュ - 68k - このサイト内で検索
 
 
 おそらく、漢方の古典『傷寒論(しょうかんろん)』あたりだったのではないかと思います。約1700年前の中国で著された『傷寒論』に、尿を使った処方が記載されています。同書の“少陰病編(しょういんびょうへん=少䕃病とは、病が体内に潜伏し、とくに痛むところはないが、起き上がる体力がなく、寝ている状態))”の第50章に、それ(尿療法)が出ています。
 
傷寒論』(しょうかんろん 繁体字: 傷寒論; 簡体字: 伤寒论; ピン音: Shānghán lùn)は、 後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した伝統中国医学の古典。内容は伝染性の 病気に対する治療法が中心となっている。
ja.wikipedia.org/wiki/傷寒論 - キャッシュ - 76k - このサイト内で検索
 
 すなわち、「少陰病で下痢(げり)があり、脈がわかりにくいほどかすかに打つ者には、白通湯(はくつうとう)を与えるのがよい。それでも下痢がやまず、手脚が冷え…吐きそうになるが吐く物がなくて苦しむ者には、白通加猪胆汁湯(はくつう かちょう たんじゅうとう)を与えるのがよい」と、あります。
伝統中国医学における少陰病(しょういんびょう)は、三陰三陽病の一つで太陰病を過ぎ て起こる外感性疾病。六経病では少陰経病である。傷寒論では、「少陰の病たる、脈 微細、ただ寝んと欲するなり」といわれ、ますます元気がなくなり、臥床してうつらうつらし て ...
ja.wikipedia.org/wiki/少陰病 - キャッシュ - 30k - このサイト内で検索
 
 
 白通湯は、ネギの白茎(しろくき)・干したショウガ・附子(ぶし=キンポウゲ科のトリカブトの塊根:かいこん=かたまりになった根)を煎じて、粕を除いたものです。最後に出て来る白通加猪胆汁湯は、この白通湯に尿と豚の胆汁を入れるという処方なのです。
効能, 通陽破陰. 主治, 少陰病、下痢、脈微。 方解, 白通湯は、すなわち四逆湯から甘草を取り、乾姜の量を減らし、葱白を加えたものである。 主に下焦の陰盛を治すが急いで通陽破陰を必要とし、陰盛逼陽を防ぐ。 だから、辛温通陽の葱白は、乾姜、附子と ...
www.yakuzenjoho.net/houzai/hakututo.html - キャッシュ - 11k - このサイト内で検索
病機, 白通湯を服用しても降火がないのは、陰盛陽虚の程度が非常に重篤であるため、回陽の剤がかえって格拒を強めて厥逆、無脈、乾嘔、煩などの症候をきたしている。 方解, 鹹寒苦降の猪胆汁、人尿を反佐として加え、熱薬が陰寒によって格拒されないよう ...
www.yakuzenjoho.net/houzai/hakutukachotanjuto.html - キャッシュ - 10k - このサイト内で検索
 
 
 さらに『傷寒雑病論』には、筋骨の損傷には大黄(だいおう=タデ科の多年草ダイオウ草の根茎)など7種類の生薬(しょうやく=漢方薬を構成する動植物などの自然産物)を童子(どうじ=こども)の尿で煎(せん)じて服用するよう指示してあります。
しょうかんざつびょうろん. 3世紀の初めに長沙(湖南省)の太守(知事)であった張仲景が記したとされている。この『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』は、古来より散逸と発見を繰り返し、現在では、2部に分かれ、傷寒(急性熱性病) ...
www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?傷寒雑病論 - キャッシュ - 8k - このサイト内で検索
 
 
 一遍上人が、これらの古典に直接、目を通したかどうかは不明です。しかし一遍上人は若い頃に大宰府(だざいふ〉で学んでいます。この時、『傷寒論』に類する漢方のいろいろな文献を学んだのではないでしょうか。
大宰府
大宰府(だざいふ)は7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。和名は「 おほ みこともち の つかさ」とされる。多くの史書では太宰府とも記され、現在でも地元は 太宰府「だざいふ」を使っている。
ja.wikipedia.org/wiki/大宰府 - キャッシュ - 97k - このサイト内で検索
 
 
 尿療法が、さまざまな病気に確実な効果をもたらすことは、すでに紹介されている通りです。(1990年の)今日のような優れた薬物のない頃、尿療法は優秀な治療効果を現して人々を驚嘆(きょうたん=おどろかせ)させ、一遍上人の時宗は、瞬く間(またたくま)に広がって行ったのでしょう。
 
北条時宗で検索
時宗
時宗(時衆)の語源は、「日常を臨命終「時」(臨終)と心得て、常に念仏を唱える故に「時 」宗といわれる」とする説もあるが、時宗総本山の遊行寺のウェブサイトには念仏を中国 から伝えた善導大師が時間ごとに交代して念仏する弟子たちを「時衆」と呼んだ...
ja.wikipedia.org/wiki/時宗 - キャッシュ - 73k - このサイト内で検索
 
 
 わが国でも、かつては人尿を用いる療法が広く行われていましたが、(1991年の)今日では少なくなっています。ところが漢方の発祥地である中国では、(1991年の)いまだに人尿を用(もち=つかう)いているのが一般的なようです。
 たとえば清朝(しんちょう=昔の中国)の西太后(せいたいごう)の処方を記録した文献には、月経の調整のために9種類の生薬と幼い男児の尿を用いた丸薬(がんやく)を彼女(西太后)が服用した、とあります。
 
西太后(せいたいこう・せいたいごう、道光15年10月10日(1835年11月29日) - 光緒34 年10月22日(1908年11月15日))は、清の咸豊帝の妃で、同治帝の母。清末期の権力 者。満州・旗人(鑲藍旗人)の葉赫那拉(エホナラ、イェヘ=ナラ)氏の出身。慈禧太后( ...
ja.wikipedia.org/wiki/西太后 - キャッシュ - 111k - このサイト内で検索
 
 
 そして(1991年の)現代中国薬学の百科事典『中薬(ちゅうやく)大辞典』でも、「人尿」の項を見ると、「一般に10歳以下の子どもの尿が好い。病状の進行を止め、熱による逆上を鎮静化する。止血し、血の循環をよくする効能がある…」などの記述があり、(1991年の)今日でも人尿が用いられていることを示しています。このあたりは、日本と中国のカルチャー(文化)の違いによるのかもしれません。
 ともあれ私(清泉女子大学文学部教授(1991年当時)金井 清光)の研究テーマである一遍上人が尿療法を実行していたのは確かですから、研究が「机上の空論:きじょうのくうろん=頭の中だけで考え出した、実際には役に立たない理論や考え」とならぬよう、私(金井)も尿療法を数年前から始めています
                              (談)
 

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