このブログは、貴方にお勧めしているわけでは御座いません。世の中には、こういう療法もある、と云うことで無断転載させていただいております。
もしも実践される場合は、自己責任・自己管理のもとで、お願い申し上げます。
また、左の書庫欄より
「飲 尿 療 法」(無断転載者の体験記録)
「ガ ン と 闘 う 医 師 の ゲ ル ソ ン 療 法」(星野仁彦医師による体験記)
「尿療法」(中野良一医師による著作)
を併読いただければ、より立体的に御理解いただけると存じます(青文字クリックで全文が通読できます)。
Amazon.co.jp: 奇跡が起こる尿療法―勇気さえあれば、治らなかった病気が治る ( ビタミン文庫): 中尾 良一: 本.
P.202 *中国の薬学辞典に尿療法が載っている
尿療法の知識を一遍上人(いっぺんしょうにん)に授(さず)けたのは、いったいなんだったのでしょう。
一遍上人ウドで検索
おそらく、漢方の古典『傷寒論(しょうかんろん)』あたりだったのではないかと思います。約1700年前の中国で著された『傷寒論』に、尿を使った処方が記載されています。同書の“少陰病編(しょういんびょうへん=少䕃病とは、病が体内に潜伏し、とくに痛むところはないが、起き上がる体力がなく、寝ている状態))”の第50章に、それ(尿療法)が出ています。
すなわち、「少陰病で下痢(げり)があり、脈がわかりにくいほどかすかに打つ者には、白通湯(はくつうとう)を与えるのがよい。それでも下痢がやまず、手脚が冷え…吐きそうになるが吐く物がなくて苦しむ者には、白通加猪胆汁湯(はくつう かちょう たんじゅうとう)を与えるのがよい」と、あります。
白通湯は、ネギの白茎(しろくき)・干したショウガ・附子(ぶし=キンポウゲ科のトリカブトの塊根:かいこん=かたまりになった根)を煎じて、粕を除いたものです。最後に出て来る白通加猪胆汁湯は、この白通湯に尿と豚の胆汁を入れるという処方なのです。
さらに『傷寒雑病論』には、筋骨の損傷には大黄(だいおう=タデ科の多年草ダイオウ草の根茎)など7種類の生薬(しょうやく=漢方薬を構成する動植物などの自然産物)を童子(どうじ=こども)の尿で煎(せん)じて服用するよう指示してあります。
一遍上人が、これらの古典に直接、目を通したかどうかは不明です。しかし一遍上人は若い頃に大宰府(だざいふ〉で学んでいます。この時、『傷寒論』に類する漢方のいろいろな文献を学んだのではないでしょうか。
尿療法が、さまざまな病気に確実な効果をもたらすことは、すでに紹介されている通りです。(1990年の)今日のような優れた薬物のない頃、尿療法は優秀な治療効果を現して人々を驚嘆(きょうたん=おどろかせ)させ、一遍上人の時宗は、瞬く間(またたくま)に広がって行ったのでしょう。
北条時宗で検索
わが国でも、かつては人尿を用いる療法が広く行われていましたが、(1991年の)今日では少なくなっています。ところが漢方の発祥地である中国では、(1991年の)いまだに人尿を用(もち=つかう)いているのが一般的なようです。
たとえば清朝(しんちょう=昔の中国)の西太后(せいたいごう)の処方を記録した文献には、月経の調整のために9種類の生薬と幼い男児の尿を用いた丸薬(がんやく)を彼女(西太后)が服用した、とあります。
西太后(せいたいこう・せいたいごう、道光15年10月10日(1835年11月29日) - 光緒34 年10月22日(1908年11月15日))は、清の咸豊帝の妃で、同治帝の母。清末期の権力 者。満州・旗人(鑲藍旗人)の葉赫那拉(エホナラ、イェヘ=ナラ)氏の出身。慈禧太后( ...
そして(1991年の)現代中国薬学の百科事典『中薬(ちゅうやく)大辞典』でも、「人尿」の項を見ると、「一般に10歳以下の子どもの尿が好い。病状の進行を止め、熱による逆上を鎮静化する。止血し、血の循環をよくする効能がある…」などの記述があり、(1991年の)今日でも人尿が用いられていることを示しています。このあたりは、日本と中国のカルチャー(文化)の違いによるのかもしれません。
ともあれ私(清泉女子大学文学部教授(1991年当時)金井 清光)の研究テーマである一遍上人が尿療法を実行していたのは確かですから、研究が「机上の空論:きじょうのくうろん=頭の中だけで考え出した、実際には役に立たない理論や考え」とならぬよう、私(金井)も尿療法を数年前から始めています
(談)