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科学も自然の力の前では無力

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  このブログは、貴方にお勧めしているわけでは御座いません。世の中には、こういう療法もある、と云うことで無断転載させていただいております。
 もしも実践される場合は、自己責任・自己管理のもとで、お願い申し上げます
 また、左の書庫欄より
 
飲 尿 療 法」(無断転載者の体験記録)
ガ ン と 闘 う 医 師 の ゲ ル ソ ン 療 法」(星野仁彦医師による体験記)
尿療法」(中野良一医師による著作)
 
を併読いただければ、より立体的に御理解いただけると存じます(青文字クリックで全文が通読できます)。
 
Amazon.co.jp: 奇跡が起こる尿療法―勇気さえあれば、治らなかった病気が治る ( ビタミン文庫): 中尾 良一: 本.
尿療法(にょうりょうほう) は、尿を用いて病気を治したり健康を増進したりしようとする 民間療法のひとつ。とりわけ、飲尿療法ないし自尿療法といった、「自分の尿を飲む」もの を言うことが多い。 目次. 1 概要; 2 その他; 3 脚注; 4 関連項目; 5 外部リンク. 概要[ 編集] ...
ja.wikipedia.org/wiki/尿療法 - キャッシュ - 37k - 4 時間前 - このサイト内で検索
 
 
 
P.5~10 もくじ
 
P.11 1章 難病が治ると(1991年現在)体験者が急増中
中尾内科医院院長  中尾 良一
 
P.12 医学は万能ではない
 
*科学も自然の力の前では無力
 
 生物について・植物も含めて、およそ生あるモノの生から死までの過程ほど「神秘」という言葉で現されるに相応しいものは、ありません。大宇宙の運行をはじめ・人間の成長・植物の増殖・開花などなど、どれ1つをとってみても、どんな力をもってしても、この自然の法則に逆らうことはできません。たとえば植物を見ても、ある程度はバイオ技術(細胞融合などの技術を利用して品種改良を行うことなど)で方向転換はできても、(1991年現在)それには限度があり一朝にして開花・結実は不可能です。
ja.wikipedia.org/wiki/生物工学 - キャッシュ - 81k - このサイト内で検索
生物工学(せいぶつこうがく)は、生物学の知見を元にし、実社会に有用な利用法を もたらす技術の総称である。ただし定義は明確ではなく、バイオテクノロジー(英語: biotechnology)やバイオニクス(英語: bionics)の訳語として使われる場合が多く、この 両方を ...
 
 
 人体にしても一定のリズムに乗って健康体を維持していますが、一旦でもそれが狂って正常体でなくなった―いわゆる病的な状態に追い込まれた場合でも、それが正常軌道に戻るには、一定の時間を必要とするモノであり、それを一般には「病気」と表現したり、「病気が治った」と、云ったりするのです。さらに人間の場合は、単に肉体的なものばかりではなく、それに精神的な要素が加わって、一層、複雑化するのです。天体の運行を人の力で変えようなどと考える人はいません。なぜならば、それはあまりにも解り切ったことで、誰もが可能性を考える余地がないからです。
 生物に対してはどうか、といいますと―(1991年現在)我々は相当に大きな錯覚に陥っているのです。ということは、生物のリズムの狂った―つまり病気になった状態も人の力によって正常化しようと試み、また正常化できたと考えられるような状況にも遭遇するからです。これが医療であり、治療です。
 しかし治癒したと考えられるものでも、やはり、それには「自然治癒力」が無ければ不可能であり、たまたま治療のための投薬や手技だけの力によるものと誤解しているだけのことです。科学・化学の力は自然の力の前には生物に関する限り、あくまでも補助の力に過ぎません。ロケットが月に行くという科学力も、生物の自然ちからには全く無縁であり無力なのです。
 
P.13 *医療は自然の回復力を後押しするだけ
 
 (1991年現在)人類の開発した科学力は、月に着陸した人間の血圧測定も遠隔装置で可能にしました。5ミリ角の基盤に数万個の真空管に相当する半導体の植え込みを可能にし、初期には東京駅前にある丸ビルぐらいの収容力を要した電子計算機を家庭内に持ち込めるまでの大きさにし、日常で汎用(はんよう=よく使われる)されている各種カード類による生活面の大改善が行われ、数カ月分の新聞紙もわずか5ミリ四方の基盤に記憶せしめる能力を開発しました。
 このように(1991年現在では)進歩した科学力をもってしても、たとえば水中に住んでいウナギが作り出す脂(あぶら)の1滴すら人間の科学力では作ることが不可能なのです。
人間の髪の毛1本・1滴の涙さえ人体を介さない限り人工的に作りだすのは不可能です。それはなぜか―ウナギの生態、人体の各種臓器の作用が(1991年現在では)全て解明されていないからです。これらの生物の機能がどういう働きをしているのか、ぐらいのことがおぼろげながらわかっている学問が(1991年現在の)医学であり、生物学なのです。牛や馬に草を与え、魚類に餌を与えなければ牛乳も油も肉もできない、のです。
人間の力に損なわれた生体の機能を回復せしめる能力がるとするならば、もちろん、その生体の働きを再現することができて初めて公言できることですが、生体の仕組みの解明には一歩も近づけないというのが(1991年の)現状です。
もしも(1991年における)医学・医療が病気の回復力に力を発揮するものであるとするのならば、上記の生物の働きを再現できることを科学的に正確に証明できなければなりませんが、それは不可能なのです
1991年)現在は医療は自然回復力を後押しする以外には何もできません。医学が100%可能なことは生命を断つことです。それは細菌を含め全ての生命あるモノに共通であり、生体に回復力を与えることは100%を期待することができないのです。

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