これは、あなたに勧めているわけでは御座いません。世の中には、「こういう考え方があり、それを実践している方が居る」と、云うことです。また、現在ではいろいろな研究により、それぞれの栄養素の効用や弊害(へいがい=副作用)についての情報が公開されております。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
下記に関連書籍(青文字クリックで全文が通読できます)を、無断転載させていただきましたので、よろしければ御参考までに、お読みください。
(故マックス・ゲルソン 著)
ゲ ル ソ ン 療 法 治 癒 し た 5 0 人
(故マックス・ゲルソン 著)
(マックス・ゲルソン博士の3女が記した本)
(ゲルソン博士による、ゲルソン療法により完治した患者へのインタ ヴュー)
(5生存率0%の大腸ガンから肝臓へと転移した医師、星野仁彦:著)
(日本人だけなぜ、がんで命を落とす人が増え続けるのか―消化器外科の 権威がすすめる驚異の栄養・代謝療法)
(済陽高穂 著)
(済陽高穂 著)
(済陽高穂 著)
(日本におけるゲルソン療法実践医師による対談・比較集)
(2冊とも星野先生が実践された中野良一医師の著作)
高橋さんのお兄さんも、私(星野)と同じようにガンであることを知った時に高橋さんが、どうなるか心配しただろう。ただ、どういう状況になっても高橋さんに病状を伝えなければゲルソン療法は実行できない。
伝えるべきことは2つあった。高橋さんが患ったのは大腸ポリープではなく、大腸ガンであること。余命は3カ月。長くても半年、ということ。ただ、1度に全てを伝(つた)えてしまったら、高橋さんが自暴自棄(じぼうじき=やけ)になってしまうかもしれない。そういう状況になっても、ゲルソン療法は実行できなくなる。
高橋さんのお兄さんは、お母さんと相談して、まずガンであることを手紙で伝えることにした。
あと数日で退院という日。お母さんは、いつものように高橋さんを見舞いに行った。体調がよくなって来たのか、高橋さんは明るく、お母さんに退院後のことを話していた。
「もう少ししたら、また忙しくなるからね」
「退院してすぐは、余る無理をしない方がいいよ」
「充分、病院(ここ)で休養させてもらったから、大丈夫」
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「廊下まで見送る」
高橋さんが立ち上がって背を向けたのを見計(にはか)らって、お母さんは枕元に手紙を置いた。
『響子へ 母より』
お母さんを見送ってベッドに戻った彼女は、その手紙を開いた。
早く元気になって欲しいと思っている、ということともに
『あなたの本当の病気はガンです』という告白が綴られていた。
手紙を読んだ高橋さんが大きなショックを受けたことは想像に難くない。その動揺を抱えたまま、彼女は退院した。
その翌日、ほとんど眠れないまま朝を迎えた高橋さんのもとを、お兄さんが訪ねた。お兄さんは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべてソファーに座る妹の目の前にしゃがんだ。高橋さんと同じ目線になった彼は、静かに話し始めた。
「すまん、ずっと嘘をついていた」
「仕方ないよ、私だってそうするから」
お兄さんは、その言葉を聴いて思わず下を向いてしまった。膝(ひざ)を掴(つか)んでいた手に力が入り、震えている。迷ってはいけない。お兄さんは、もう1度顔を上げて妹に向かって口を開いた。
「まだ云っていないことがある。シッカリと聴いてくれ。お前の命は短くて3カ月、長くて半年だ」
高橋さんから表情が消えた。目は虚(うつ)ろになり、どこか遠くを見つめている。
「そう…」
静まり返った部屋に彼女のかすれた声が微(かす)かに響いた。
のちに彼女は私(星野)に、こういった。
「兄の言葉を聴いた瞬間―どこまでも気持ちが沈んで行きました。地獄に突き落とされるというのは、ああいう感覚なんでしょうね」
私(星野)がモニター越しに2カ所に転移したガン細胞を見た時と同じ心境だったのだろう。あの感覚は経験した者にしか解らないのである。
しかし、伝えて終わり、ではない。高橋さんのお兄さんは大きく息を吐き出して、妹の虚ろな目を正面から見据えていた。
「でも俺は、お前に生きていて欲しい。お前は生きて行く必要があるんだ。お前だって生きていたいだろ?」
お兄さんの言葉に、高橋さんの目からは止めどもなく涙があふれ出してくる。
「生きたいよ…でも、病院の先生が、そういったら」
「病院の先生しか言ってない、じゃないか。俺も、お袋も、お前が生き続けると信じている。治療法はほかにもあるんだ。このテープを聴いてくれ」
カセットデッキから、お兄さんと私(星野仁彦)が話す電話のやり取りが流れて来た。録音していたのだ。テープが終わったところで、お兄さんは、また話し始めた。
「ゲルソン療法は厳しいと思う。でも、この治療法なら、お前のガンを克服できるはずなんだ。一緒にやろう。生きるために、一緒に」
高橋さんは泣きながら、何度も何度も頷(うなず)いたという。
数日後、高橋さんは、お兄さんと一緒に私(星野)の自宅を訪れた。彼女はまだ、ショックから立ち直っているようには見えなかった。
私(星野)は自分の体験を丁寧(ていねい)に話したうえで、彼女に出来る限りのメンタルケアを行った。
「転移したガンを切除して4年目になります。でも状況は、あなたとまったく同じです」
彼女は、その言葉を聴いて不思議そうな顔をした。
「がんの転移が判った時、私(星野)が5年間生き続ける確率は0%になりました。まだ4年目ですから、その確率は何も変わっていません。でも私(星野)の体調は良好だし、病人になる前と同じように仕事もしています」
私(星野)が話している間、高橋さんのお兄さんは、じっと妹を見つめていた。彼女の表情から少しずつ緊張感がなくなるのを見て少し安心したようだった。私(星野)は続けて、ガンと云う病気の原因が生活習慣にあること、ゲルソン療法の効果などを分かりやすく話した。
「厳しいでしょう?今まで食べていたものが、ほとんど食べられない。だから、工夫(くふう)が必要なんです。どんなふうに料理をするかと云うね」
妻が今まで私(星野)に作ってくれたゲルソン食のレシピを持って来てくれた。そして具体的に調理方法を説明してくれた。
「この通りに作れば、思っていた以上に美味(おい)しいと思いますよ」
妻の話に耳を傾けていたお兄さんが、立て続けに妹に話しかけた。
「これなら俺にもできそうだな」
「意外に美味しいかもしれないゾ」
「これは俺も食べることができると思う」
星野式ゲルソン療法を妹と一緒に取り組もうとするお兄さんの姿勢に、私(星野)は心を打たれた。電話で感じた熱意は本物だった。
「明日から、さっそく始めます」
お兄さんの言葉に勇気が湧いて来たのか、帰り際の高橋さんの表情には生気が満ちていた。2人はソファーから立ち上がり、玄関に向かってゆく。
「わからないことがあったら、すぐに連絡してください」
「よろしくお願いします」
高橋さんのお兄さんは、何度も頭を下げながら玄関を出て行った。
「あんなに妹思いのお兄さんがいるんだから、彼女はきっと元気になるわね」
そういいながら、高橋さん兄妹の後姿を見送る妻の目が潤(うる)んでいた。妻もまた、お兄さんの献身的な姿に感動したらしい。
約束通り、高橋さんは翌日からゲルソン療法を始めた。「ゲルソン食は、母親が一所懸命(いっしょけんめい)作ってくれた」と云う。同時に尿療法も始めた。
「生きるか死ぬかの瀬戸際(せとぎわ)でしたから、ごく自然に受け入れることができました」
高橋さんは、その時の心境を後から、そう話してくれた。