これは、あなたに勧めているわけでは御座いません。世の中には、「こういう考え方があり、それを実践している方が居る」と、云うことです。また、現在ではいろいろな研究により、それぞれの栄養素の効用や弊害(へいがい=副作用)についての情報が公開されております。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
実践されます方は、くれぐれも御確認の上、自己責任・自己管理の下(もと)で行って下さい。
下記に関連書籍(青文字クリックで全文が通読できます)を、無断転載させていただきましたので、よろしければ御参考までに、お読みください。
(故マックス・ゲルソン 著)
ゲ ル ソ ン 療 法 治 癒 し た 5 0 人
(故マックス・ゲルソン 著)
(マックス・ゲルソン博士の3女が記した本)
(ゲルソン博士による、ゲルソン療法により完治した患者へのインタ ヴュー)
(5生存率0%の大腸ガンから肝臓へと転移した医師、星野仁彦:著)
(日本人だけなぜ、がんで命を落とす人が増え続けるのか―消化器外科の 権威がすすめる驚異の栄養・代謝療法)
(済陽高穂 著)
(日本におけるゲルソン療法実践医師による対談・比較集)
(お茶の水クリニックで食事指導を続ける医師が書いた本)
P.111 第3章(1998年までにおける)現代医学・栄養学の間違い
P.112 主食をみんなで考え直そう
バイタリティーを生む玄米
戦国時代の武士たちは、あの思いヨロイ・カブトに身を固め、太刀(たち)を振りかざして山谷(さんや)を駆(か)けずり回っていた。この我々の祖先たちは、我々(1998年における)現代人たちよりもはるかに優(すぐ)れた肉体を持っていたのである。いや、優れていたのは肉体だけではなかった。
その頃の日本人が、どんな特徴を持っていたのかは戦国時代直後に日本にやって来たオランダ人の印象を通じても、知ることができる。その唐人(とうじん=オランダ)さんが驚きの眼(まなこ)を持って本国に書き送った通信文は、『耶蘇(やそ)通信』や『日本西教史(にほん さいきょうし)』などに書きとどめられている。それによると、「日本人は大きく強靭(きょうじん)な体をしていて、力もまた強い。また根気があって、忍耐強く、そして極(きわ)めて礼儀正しい国民である…」と紹介されている。とにかく、その当時の日本人は、すこぶる(すごく)開放的で剛毅(ごうき=意志が堅くて強く、くじけないこと)、そして、よく礼節をわきまえた辛抱(しんぼう)強い力持ちだったのである。
そのあとにやって来た元禄(げんろく)時代(=江戸時代)の様相は、一変する。人の心は閉鎖的になり、社会の一般風潮(いっぱん ふうちょう=いっぱんてきなせそう、ふんいき)は泰平(たいへい=世の中が平和に治まり穏やかなこと)ムード。それゆえに豪華・太政の浮世絵に象徴される元禄時代は、ヨロイ・カブトの戦国時代と対照的である。バイタリティー(いきいきとした生命力。活力。活気)に飛んでいた戦国時代の日本人が、頽廃的(たいはいてき=道徳的にくずれて不健全なさま。デカダン)気風(きふう=気性。気だて。特に、ある集団・地域内の人々に共通する気質)の人間に急変した理由―原因はいったいどこにあったのか?それを、よく考えてみなければならない。
戦国時代と元禄時代の様相(ようそう=さま、ようす)を一言で、ズバリと言い切るのならば、それは「玄米(雑穀:ざっこく)と白米の違い」と言えよう。
重装備の兵士たちが敏捷(びんしょう=すばやく)に動き回るためには、どうしても精白しない雑穀を主食としなければ成らなかったのである。実際に彼らの兵食(へいしょく)は主に「干し玄米」であった。また当時、玄米を精白した白米は「ヒメ」と呼ばれていて、それは、お姫様か重病人の食べ物と見做(みな)されていた。健康な若者が仮初(かりそめ=一時的なこと。また、そのさま)にも口にすべき物ではなかったのだ。そして、この「ヒメ(=白米)」が一般民衆の胃袋に入れられるようになった時、あの元禄時代がやって来たのである。元禄人が姫(ひめ)や病人のようになってしまったのも、当然のことと言わねばならない。この頃から、日本人の体格や体質は富に低下し始めたのである。
戦国の主食は、玄米である。もちろん、現在のような白米ではなく、赤米(大唐米)や黒米だった。赤米は奈良時代から戦国時代の米の主役で、かなり質が悪く、炊きたてのホヤホヤでも粘着性はほとんどない。黒米は塩を入れて煮たというから ...
P.114 白米はコメにあらず
さて、我々人間の主食は原則として、禾本科(かほんか)植物の種子―つまり穀物(こくもつ)、である。ときどき栄養学者たちが、コメを主食とすることへの弊害(へいがい=害になること。他に悪い影響を与える物事。害悪)を唱(とな)えたりするが、彼らのいう米は「白米」のことである。しかし「白米」はコメではない。それは米の一部―いや、コメのカス(それゆえに米偏(こめ へん)に白(しろ)と書いて「粕(かす)」と読むのである。種子(しゅし=たね)の生命が胚芽(はいが)に宿っていることを思えば、胚芽を落とした白米が極(きわめ)めて不完全な食物であることぐらい、容易(ようい=かんたん)に想像されるところだ。ある生理学者は「白米を食べ続けるとバカになる」というが、実は白米を食べることそれ自体バカゲタことなのである。また白米食よりパン食の方が良いと主張する学者もいるが、精白されたメリケン粉(=小麦粉)を原料とする白パンならば、白米と50歩100歩(どっちもどっち)である。本物の黒パン(原料が精白されていないパン)ならよいが、白パンを黒く着色したニセモノも出回っているから要注意である。
ところで、よく「バランスの栄養」という言葉を聞く。肉を食べるなら、その酸性度に見合うだけのアルカリ性の野菜を食べろということだ。なるほど、結構なことだが、実際上、肉の毒が、どの程度の野菜で中和されるのか―正確なところはわかりにくい。もっとも、こういうバランスの調整は、うんと体を使い、運動している場合には、それほど厳密(げんみつ=こまかく)に考えなくてもよい。
活発な体のからくりが、うまくコントロールして暮れるからだ。しかし運動不足気味の場合や、あまり丈夫ではない体にとって、この肉(酸)と野菜(アルカリ)のバランスをとることは相当な難事業である。したがって、アンバランスなので危機(強酸・強アルカリ=病気)に陥(おちい)りやすい。