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体の働きと仕組みは完璧にできている*生体の微妙な働きは(1991年現在)まだ解明されていない

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 このブログは、貴方にお勧めしているわけでは御座いません。世の中には、こういう療法もある、と云うことで無断転載させていただいております。
 もしも実践される場合は、自己責任・自己管理のもとで、お願い申し上げます
 また、左の書庫欄より
 
飲 尿 療 法」(無断転載者の体験記録)
ガ ン と 闘 う 医 師 の ゲ ル ソ ン 療 法」(星野仁彦医師による体験記)
尿療法」(中野良一医師による著作)
 
を併読いただければ、より立体的に御理解いただけると存じます(青文字クリックで全文が通読できます)。
 
Amazon.co.jp: 奇跡が起こる尿療法―勇気さえあれば、治らなかった病気が治る ( ビタミン文庫): 中尾 良一: 本.
尿療法(にょうりょうほう) は、尿を用いて病気を治したり健康を増進したりしようとする 民間療法のひとつ。とりわけ、飲尿療法ないし自尿療法といった、「自分の尿を飲む」もの を言うことが多い。 目次. 1 概要; 2 その他; 3 脚注; 4 関連項目; 5 外部リンク. 概要[ 編集] ...
ja.wikipedia.org/wiki/尿療法 - キャッシュ - 37k - 4 時間前 - このサイト内で検索
 
 
 
P.22 *体の働きと仕組みは完璧にできている
 
 人間は目を外に向けがちですが、たまには内側に向けて自分の体の神秘に触れてみるとよいでしょう。
 巷(ちまた)にはカードが氾濫し、コンピューター文化に支配され、一昔前までは複雑の操作をしてセットしなければならなかったカメラなども、(1991年の)今はただ押すだけの機構に変わりました。
テレビも白黒からカラーにと日進月歩の変り方です。私(中尾良一)のように明治・大正・昭和・平成を生き抜いた目から見ると、大正と昭和、前半の10年間は(1991年における)現在の1年に相当する変り方ではないでしょうか。なぜこんなことを書くかというと、この科学の進歩と人体の仕組みを比較してみるためです。
たとえば目の構造は、生まれながらにして自然焦点・自動シャッター・立体像・天然色・自動洗浄装置付きで。しかもレンズの明るさは写真のレンズでは実現できないほどのものを持っているのです。耳も生まれながらのステレオで、高・低音を自由に聴取できる仕組みの巧妙さは御存知の通りです。
その他にも脳や生殖の細胞の働きにいたっては、どんなコンピューターも実現できないほどです。すなわち記憶はともかくとして、昔のことを思い出したり、考えを組み立てたりする機能まで持っていて、科学の進歩等及びもつかないのです。
このように完備した構造を持った生物や植物などには、また完全無欠の修復作用も存在するのです。それが自然治癒力です。その自動復元能力の限界を超えたものが、病気として外部からの助力を必要することになり、また自然回復のために日数を必要とする場合もあるのです。
 その外部からの援助によって治癒を促進するのが医療です。しかし医療そのものは、オール・マイティー(万能)では、ありません。
 先ほど述べた通りに、「自力で前進するものを後ろから押すのが医療です」が、科学的な薬物・対症療法的な薬物は逆に前に立ちはだかって障害物にもなります。
 
P.24 *生体の微妙な働きは(1991年現在)まだ解明されていない
 
 たしかに(1991年における)医学は進歩しましたが、果たして、どの程度まで進歩したのでしょうか。解剖学・生理学・病理学などは飛躍的に進んだに違いありません。また、体の各部分の働きも段々と判って来ています。しかし、その真相はもとより部分的な働きの仕組みさえも(1991年の医学では)本当は判らないのです。人体はおろか蚊や蚤(のみ)、メダカ1匹の体内における作用も分かってはいないのです。その微妙な構造の仕組みには、実は(1991年)現在の人智の及ばないモノばかりです。
たとえば人間の目の構造を考えてみるとよいでしょう。(1991年における)もっとも進歩した写真機構も幾星霜(いく せいそう=いく年月)を経て(1991年の)今日のようになって来ました。目はこの世に人間が創生された何億年も昔から、自動焦点・自動絞り・自動シャッターを備え、立体像を結び総天然色でレンズはカメラの明るさを保ち、自動洗浄装置・自動防塵付きで到底(1991年における)最新型のカメラでも遠く及ばないのです。このような自動装置に囲まれたものは頭の頂上から足の爪先に至るまで、また内臓器官の自動装置についても、まさに驚嘆すべき機能を備えています。
したがって、その復旧・復元も、ある程度までは自動復元機能が備わっています。その範囲を逸脱したものがすなわち「難病」と称されているのです。そのために復元不能に陥ることは、すなわち管理の不備によるものであると考えれば、病気とは人生における不慮の災難のようなもので、注意が行き届いていれば自動復旧の範囲内で処理できるものです。この組織の働きが解明されていれば、食肉も魚肉も、総ては人工的に生産されるはずですが、やはり牛肉は牛に、豚肉は豚に餌を食べてもらわなければ枯草や残飯を原料として工場で科学的には牛肉や豚肉は生産されないのです。このように、その構造や機能さえ判らないものが、なぜ科学的な薬剤を持って体の復旧ができるのでしょうか。「目に見えない内臓の修復が薬の力でできる」と考えるのは、ただ科学力の過信・誤解をしているに過ぎないのです。

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